映画「ユナイテッド93」の"今"の違和感
4月28日に全米公開される映画「ユナイテッド93」。
ちょっと前までは「フライト93」と題されていた映画だ。
日本でも今年公開予定だ。
8月には「ワールド・トレード・センター」という映画も
全米公開される。
この2本の映画のテーマはずばり9.11。そう2001年に
世界を震撼させた同時多発テロを描いたものだ。
前者はペンシルヴェニア州に墜落した機の機内の様子を
描いた作品。後者は当日救援に向かいながらビルの
崩壊と共に閉じ込められてしまった実在の港湾局の
オフィサーを描いたもの。
あの圧倒的な恐怖を世界中の人間が味わったテロから
まだ丸5年が過ぎていない。この時期にいくらあのテロ
を風化させない為とか、あの映像の裏で繰り広げられて
いた人間ドラマを描いて、二度とあのようなことが起こらな
ないために、と映画を製作した側が理由をつけようとも、
違和感を感じずにはいられない。
多くの人々がライブ映像として見てしまった世界貿易
センタービルへの突入及びビルの崩壊。どんな作られた
映像よりも人々の心に負の映像として焼き付いてしまった
と思う。機内の状況をドキュメンタリーにした番組や
ドキュメンタリードラマにしたテレビはいくつか存在する。
ビルに突入するまでに客室乗務員や客がどのような勇気
ある行動を取ってのか、ということがよくわかって、逆に
胸を締め付けられるような番組もあった。
しかし、映画というと話しは違う。エンターテインメントとして
作られた「真実の物語」をまだ見る気がしない。風化どころか、
あの映像と事件がまだあまりにも生々しすぎるのだ。
日本にも多くの犠牲者が出た無差別テロ事件は存在する。
一般的に「地下鉄サリン事件/松本サリン事件」という名前
でニュース化されているあのオウム真理教によるテロである。
蛇足だが、なぜあのテロを「地下鉄サリンテロ」という名前で
報道しないのだろうか?海外ではあのサリン事件は日本に
おけるテロとし定着している。単なる事件ではない。無差別
殺人を実行したテロという言葉以外の何物でもないのだ。
サリン事件などという実情とかけ離れた名前をつけるから
あの無差別殺人の異常さが薄れてしまうのだ。
まぁ名前の問題は別として、あの地下鉄サリン事件の映画
を見たいと思わないのと同じである。まだまだあの旧上九一色
村にあったオウム真理教の施設の異常さや、地下鉄にサリン
を撒かれたことによる、多くの犠牲者たちが苦しむ姿を限りなく
ノンフィクションに近いフィクションとして見たいと思わない。
9.11を描く2作品を見てみないことには批判もできないことは
わかっているが、今、この時期にあのテロをテーマに、映画を
作ることはあまりにも時期尚早と言えるのではないだろうか?
予告編をネットで見ることができる。ニューヨークの一部の映画
館では予告編の上映が中止になったとのニュースも流れて
いる。予告編を見る限り中止の措置もやむを得ないと思われる
ような内容だ。
予告編を見たい方はこちらへ


Comments
はじめまして。ユナイテッド93に関する「違和感」を私もまとめてみました。どうかご照覧ください。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1461254
Posted by: Hiro-san@ヒロさん日記 | 2006.08.01 at 18:33